わたしはロボット「全自動お茶汲みマシーンマミコ」
去年の今頃は「夏が恋しい」と言っていた気もするが、実際4か月近く気が狂うほど暑い日が続くと、いい加減にしてくれ!と叫びたくなりますね。
もともと肌に問題を抱えているため、露出は限りなく少なくすることにしているのだが、死につながりそうなこの暑さでどうでもよくなり、今年は割とノースリーブやショートパンツなどを着た。
5カ月のNZ生活は私に「他者の目線を気にするな」ということを教えてくれた。向こうの人たちは部屋着か?という恰好で生活している。
さて、思い返せば学生時代から好きだった白井瑶さんのブログが書籍化した。
たぶんほぼすべての記事を読んでるし、割と読み返してるので内容は覚えているのだが、それでも紙で読むとまた違った味わいがあった。
表題となっている「全自動お茶汲みマシーンマミコ」は軽いようでめちゃくちゃ重い。
マミコはマシーンなので男たちからどんなに軽んじられても動じない。
意味のわからない、女だけが損をするこの世のルールも、深く考えずに受け入れてしまえば、反抗しなければ、お前らの仲間に入れてくれるんだもんな?あ、歳をとったら自動で排除されるんでしたっけ?
でもマシーンはただ言われたことを従順に聞く。ロボット三原則があるから!
私はマミコではない。マミコほど男受けに全振りできないし、理不尽への苛立ちが顔に出てしまうくらいには自我を抑えられていない。
でもマミコは私の一部だとも思う。会社でムカつくジジイがいても笑って受け流したり、私に誠実ではない男のために最大限都合のいい女を演じる。
マミコも私も、本当にロボットだったらきっともっとずっと幸せだっただろう。でも私たちは人間で、個々に尊厳をもっているし、悲しみや怒りも感じる。
私はあんまりロボットらしくないけれど、マミコほど完璧なロボットも経年劣化とともに機能が故障し、本当の姿が露見してくる。
私は本書に書き下ろされたマミコ最終章が大好きだ。
ここには書かないけれど、涙ぐみつつ、微笑んでしまうようなオチ。お見事!
さて、マミコ以外の話ももちろん最高だ。
私が一番好きなのは「好きなんて言うなクソボケ嘘つきが 一生タワマンから出るな」である。
DVモラハラ男と婚約している女友達と縁を切るまでの話なのだが、「最高の友達は最低の恋人に勝てない。」というのが芯を食っていて辛い。
私自身はここまでヤバい男と付き合ってる友達はいないが、でも女友達は彼氏には絶対勝てないんだな、と常々感じる。
私が男の体を持っていたら友達にはなれなかっただろうけど、恋人になってあなたの孤独に寄り添えたのにね、と。
私は10年以上の付き合いを軽く超えてくる友達の彼氏が憎いし、たぶん世界で一番嫌い。てかまあ男は基本的にみんな嫌い。
そんな複雑な女友達への感情を見事なくらい端的に描いてくれた本作。あなたの一番は私じゃなくて、クソミソジニーDV野郎。これは世の常ですね。
すべての話が最高なので皆さん読みましょう。
男はいつの世でも「服従と従順な女体」を女に求めるのだ、と皆で絶望しながら、立ち上がるために。
[追記]
ちなみに私がずっと頭に残ってる白井さんのお話は、「テニス、セックス、ヘッドスパ」です。
これを読んでから、ずっと行きたかったヘッドスパには閉経してから行くことに決めた。
だって、セックスが大して気持ちよくもない、惰性でやってるものだと気づきたくないから……。
「行方不明になりたい」という欲望がもたらす物 ー 行方不明展 感想
先日、「行方不明展」に行ってきた。
「行方不明展」はテレ東の大森さんとホラー作家の梨さんタッグということで、まあ不穏なんだろうなとは思ったけど、不穏というか、人間の実在性を感じる良い展示でした。
少し思うところがあったので、久々にブログを書いています。ネタバレもあるので注意。
ーーーーー
世間で言われる「行方不明」と、本展覧会の「行方不明」は少し意味合いが違う。
それこそ数ヶ月前に見た「ミッシング」という映画は、いわゆる行方不明を描いた映画で、とんでもなく胸が締め付けられる、とんでもない映画でしたが……。
本展覧会の「行方不明」はある種自殺に近いものであり、この世や今ある人との縁をすべて断ち切りたいという欲望を持った人たちの思いがひしめいていた。

生きるのが辛い、というよりは、今ある人間関係や環境に疲弊してしまって、「どこか遠く、自分のことを誰も知らない場所に行きたい」という気持ち。
私自身はこの気持ちが、とーーーーーーーてもよく分かる。というか私の希死念慮はこの感情から来てるし……的な。
普段の生活が辛いというよりは、もうなんか「私」をやるのがしんどい。大切な人を大切しなければならない、という心理的プレッシャーも辛い。何も変わらない日々に飽きた。すべてをリセットしてしまいたい。
そういう色んな気持ちがあって、それは希死念慮というよりは「行方不明」に近いのだろう。
そしてさらに本展では通常の「行方不明」ではなく、存在した形跡すらもなくなっていく。なんて理想的な状況!

と、「行方不明になりたい側」は思うのだが、本展では残された人たちの声が取りあげられる。
もし身近な人間が行方不明になったら、そりゃあ心配だし不安だし帰ってきてほしいと祈るだろう。それぞれの張り紙がその悲痛な叫びを代弁していて、見ていて辛かった。
特にたくさん置かれた携帯電話は、「相手に繋がらないのは「電話が壊れているから」だから、色んな携帯電話を使って繋がろうとした」というのが、もう相手がこの世にいないかもしれない、という希望を持ち続ける行方不明者の近親者という感じがして……。そしてそれを諦めた結果、これらの携帯電話がこの展示会場にある、という背景も含めて、とても複雑な気持ちになる展示だった。

もちろんこの展示会場にあるものはすべてフィクションで作り物なのだけれど、それを知っていてもなお感じる実在感。本当にフィクションだよね?と確認したくなる。
もちろん非現実的な展示も多いのだが、ところどころに挟まれる悲痛な叫び。よく理解できる心情たち。
今の世界からいなくなったとて、じゃあ新しい世界でうまく生きていけるのか?すべてをリセットしたら、リセット前の世界が恋しくなってしまうのでは?残された人たちの寂しさや虚しさは?
何か大切なものを失ったという喪失感はあるが、もはやそれを知覚できない苦しみ。

人生をリセットしたい、という欲望の行く先を見せるような、そんな苦々しい展示会でした。
お時間ある方はぜひ見に行って、「人の喪失」を見てみては。

Spring has come
4月は誕生月です。
反出生主義とか言っといて、人から祝われたいとは一丁前に思ってしまう……。浅はかで愚かな人間ですよ、わたしは。
友人をダブルスタンダードで断罪しておいて、自分がこうなんだから碌なもんじゃないね。本当に悪いことをした/いつかはこうなる運命だったと毎日思っている。
殺人を犯した人もきっとこんな気分なのかもなあ。一時の感情に支配されて取り返しのつかないことをした。反省はしているが、後悔は……。
さて今は転職活動をしているのですが、すごく疲れる!
選択肢は多いほうが良いかと思い、たくさん書類を出したらたくさん受かってしまった。
その内、行きたい会社についてはいいのだが、行きたくもない、行く気もない会社の面接を受けて、案の定落ちる、を何回か繰り返している。
お互いに何の時間……?って感じ。もう良い。
そして先ほどまで、マジで行きたくない会社の面接があった。受けるなよ、という話だが、その説明をエージェントにするのがストレスだったので……。
しかし、その会社の面接官がめっちゃ高圧的で、びっくりするほど最悪。
急にプレゼンしろって言われてやって、それでグチグチ詰められる。はあ?そんなこと定義されてませんでしたが……。
しかもこの人、10分遅刻してきたからね。それで謝らなかったし。本当にとても不愉快。もう舐めてんじゃん、私のことを。まだテメエの部下じゃないが??(部下でも許さないけど)
こんな嫌な奴が働いている会社、絶対無理!と思ったし、普通に腹がたったのでこっちもだいぶ態度悪くなっていった。笑顔ゼロ。
本当に不愉快な面接だった。しかも90分もあったし!クソ。こういう人とは絶対に分かり合えない。一生!
私の人生で初めて朝ドラを毎朝見ている。
「虎に翼」は、あまりにも面白くて辛くて元気が出るドラマですね。毎朝、昔の傷を疼かせながら出社することになっていますが……。
ドラマ内でも様々な女子が出ているのも良い。私は結構泣き虫の中山先輩が好きだよ……。泣けるって、自分の中でちゃんと消化してるってことだからね。
本作の時代は、女性は「無能力者」であり、「資産はすべて夫の管理化となる」とかいう、マジで意味不明な法律があった時代。この話が出るたびに怒り狂いそうになる。
2週目でお着物を取り戻すことができた判決、本当に嬉しかったけど、あれは傍聴席に女学生がたくさんいる状況じゃなくても起こり得たか?は少し疑問。でも、だからこそ、「おかしい!」と思ってる人は団結して、数を視覚化して訴えることが必要なんだよね。
「今は」とりあえずこの法律はなくなったし、女性の権利も向上してきてるけど、でももうこんな政治だったらまた似たような法律ができてもおかしくない。
本作を通して、改めて声を上げ続けることの大切さを感じている。共同親権も止めろだし、今からでもインボイス止めろだし、ガザの虐殺も中東の攻撃もウクライナ侵攻も全部止めろ!バカ!!
あと早く同性婚も夫婦別姓も導入しろ!!緊急避妊薬の未成年無償化も!!!!
怒りを忘れず、私に出来ること(署名とか……)をやっていきたいと、気持ち新たにした誕生月でした。
このくらいの気候が続いてくれ~~~
「夜明けのすべて」は(当事者として)救いにも絶望にもなる
近所の梅が咲いていて、ああ春めいて来たなあと思うこの頃。
緩やかに精神状態が良くなってきて、またそれからも春を感じる。で、夏がくると体調がガタガタになるんですが……。
仕事はビックリするほど暇。やることがないのもあるし、もはややる気も出ないから適当に仕事してて、だから自主的な暇といえばそうなんですけど。
さて、先日「夜明けのすべて」を観てきた。いやー本当に素晴らしい映画でした。少しザラッとした画も、優しいBGMも、寄り添うような語りも、すべてが暖かかった。
そして何より、主人公2人が恋愛関係にならないところが最高に良い。妙にリアルな仲のいい同僚って感じで、とても好感が持てた。
yoakenosubete-movie.asmik-ace.co.jp
今回はサクッと気に入った部分だけ感想を書きます(すぐ長文になるから)
私は本作の藤沢さんと同じくらいPMSが酷くて、しかもピルが飲めないというのも同じ。だからこそ適当なPMS描写をしていたら嫌だな、とか、恋でPMSが治りました!とかの落ちだったら辛いな、と思っていたのだが、PMSという病にキチンと向き合った作品だった。
人生で初めて、自分自信が当事者である映画を観たかもしれない。自分が苦しんでいることを真摯に描いてもらえることが、こんなにも救いになるなんて知らなかったな。

本作の冒頭はとてもセンセーショナルなんだけど、実はすごくリアルだと思う。コップの水が溢れるように、辛いことやしんどいことが閾値を超えてしまったら、自分もああなってしまう。
傘くらいさせば?と思うかもしれないけど、折りたたみ傘を袋から出す行為にすらイライラして、傘を投げつけて、そのまま座り込んでしまう。
身分証がすぐ出てこないだけですごく辛くてイライラして、カバンの中身全部ぶちまけちゃうよ。(ちなみに私も似たようなことは経験があります)
しばらくすると気分が落ち着いて、自分が情けなくて、別ベクトルの落ち込みが発生する。PMSとはそういう病気。
会社の人にだって、そんなこと言いたい訳じゃないのに、些細なイライラをぶつけてしまって……。そして自己嫌悪。
PMSって、閉経するまでほぼ毎月絶対あって、更年期になったらもっと酷くなるのかなとか不安になる。私も藤沢さんも20代で、恐らく後20~30年は苦しみ続けなければならない。
だからこそ、物語の序盤にある、パニック障害で苦しむ山添くんに言われる「え、違いますよね?」が重くのしかかるというか……。PMSってたしかにただの情緒不安定って言われてしまいかねない病気だし、パニック障害みたいに目に見える弊害があるわけではないけれど……。

私なら心がポッキリ折れちゃいそうな発言だったのに、藤沢さんはその後も山添くんを(同僚の範囲内で)フォローしている。彼女の「人に何かをあげることを躊躇わない」という美点が、うまく合致して、2人の歯車がちょっとずついい方向に回りだす。
私がこの映画を素晴らしいと思ったのが、2人とも映画が終わるまでに病気が治ることはないし、2人の関係性が大きく変化することもなかったという点。
恋に落ちたとて、パニック障害もPMSも治らない。どちらも中長期的に付き合っていく病だし、じわじわと病気との距離感がわかってくるような、そういう類のものだと思う。
だからこそ、2人が同僚の垣根を超えることなく、支え合うというよりは、理解し合うことで、ちょっとだけ病気に対する気の持ちようが変わった感じがした。
あと、藤沢さんが実家に戻った後、この2人はもう多分二度と会わないかもな~って感じがして良い。会うとしても会社に挨拶で……とかで、2人でお茶とかなさそう。
でもたまに思い出して、あの時の優しい時間が人生の支えになるんでしょう。そういうのってあるよね。
クライマックスの、プラネタリウムでの朗読も良い。もうこの世にはいない人が、今生きている人たちをそっと鼓舞してくれる。
人との関わりはすごく色々な形があって、でもみんな夜明けを待って藻掻いているのかもしれないな。
邦画には珍しく、まだまだ公開しているようで、とても嬉しい。たくさんの人に見てほしいものです……。ゴジマイ見てる場合じゃないっすよ
私は人間の愚かさや暴力性を描いた映画も大好きだけど、こういう分かりやすい悪人がいなくて、みんなそれぞれの人生を生きてるんだなと思えるような映画も好き。
支えられなくても、理解しあうことで救われることもある。頑張って夜明けを待たねばね。
耐え難いことも多々あるけれど、頑張って生きていきましょう。
私の身体は私のもの!甘美で危険な冒険譚「哀れなるものたち」
ポスタービジュアルがとってもキュートな「哀れなるものたち」の中身は全然キュートではない、という話をします。
ネタバレと私による超解釈がありますが、ご容赦ください……。
「哀れなるものたち」は原題が「Poor Things」で、結構ストレートに訳されていると思う。楽しみにしていた映画なので、いい映画なのに邦題がクソ!(もちろん逆もあるが)ということがなくて良かった。
個人的にはPoorって貧しいとか愚かとかじゃない?という気もしていたけれど、映画でのベラの話しぶりを観ていると、タイトルの「Poor Things」に対する感情は憐憫に近いなと。そうすると「哀れなるものたち」がちょうどいい落とし所だよね。

さすがと言うか、公式のOverviewは「天才外科医によって蘇った若き女性ベラ」とあり、最も重要な「自殺した妊婦のお腹にいた胎児の脳をそのまま母親である妊婦に移植する」というマッドサイエンスな部分がごっそり抜けている。
この「子供の脳を母親に移植」というのは、この映画における「女性の開放」「社会によって植え込まれた思い込み」「親殺しによる庇護者からの脱却」などのテーマを描く上でとても重要な意味を持っているため、あらすじでサラッと触れてしまうとその部分が鑑賞者の印象に残りづらくなる。あくまで、これはジェーン・ドウではなく、胎児「ベラ」の人生だと強く認識する必要がある。と、私は思います……。
なので、(まあ仕方ないんだけど)この辺の内容をサクッと書いてある映画情報サイトを見ると怒り狂いそうになる。パッと見、完全にスプラッタじゃん!全然スプラッタ映画じゃないのに!!
ということで、リンクを貼るときに少し感動したよ、という話でした。
閑話休題。
私がこの映画を観て強く感じたのは「女性の肉体の開放および返還」について。
私は残念ながら肉体的には女性として生まれてしまったので(あえてこういう書き方をしています)、自分の身体は自分だけのものではないという感覚を持っている。
小学生くらいから「男性に値踏みされるもの」として自分の身体を認識し始め、思春期になれば「より高価値な身体にならねば」と躍起になる。そこから先は「男に選ばれる女になるために」身体が使われる。まるで私の意思でやっているかのようだが、その実、男性社会で「価値ある女」になるための努力なわけで、私の自由意志は本当には存在しない。そしてそれは閉経するまで、否、死ぬまで続く!

これは私だけの感覚ではなくて、ある程度の女性はみな感じているのでは?もちろんそれを愉快だとか、喜ばしいとか思う人もいるのだろうけど、多くはないだろう。女性にも意思があり、生きているので。
本作は主人公のベラが旅をしながら、自分の身体を自分のために使う。それは遊んだり、快楽を得るためだったり、お金を得るためだったり……。でもいつでもベラは自分の意思を最優先とし、無理やり自分の身体を他者に受け渡すことはしない。

ベラはいつもちゃんと拒絶する。女性に拒絶されたことのない「上流男性」はそれに怯え、怒り、懇願する。「物分りの良い、かわいい子に戻ってくれ」と。だからベラが本を読み難しいことを言うと、嘆き、本を取り上げる。結局、超キレイな白痴美人が好きなんだよ、お前は!!
物語終盤に出てくる将軍は明らかに露悪的に描かれたエゴイスティックなファッキンエネミーだが、実はゴッドもマックスも(もちろんダンカンも)同じ。ただ違うのは、ゴッドとマックスは最終的に「ベラの自由意志を尊重する」ことができた点。それはベラを一人の人間として認めた、ということと同義で、フェミニズム的文脈からも素晴らしい成長と言えよう。”進歩”したのね。
この映画が18禁なのは、脳みそ移植シーンのゴア描写がすごいからじゃない。(極端な話、変な邦画のほうがよっぽどゴアがエグくてPG12とかだし)ゴアシーンはほとんどなく、時折あるのもモノクロなので、よっぽど駄目な人以外は見れる……はず。
この映画は性行為のシーンがめちゃくちゃ多くて18禁になっているのだ。だからといってピンク映画的ではなく、エッロ!みたいなことはない。あくまで「行為を楽しむベラ」が描かれている。では何故、そんなにセックスを描くのか?それは「女の身体とセックス」が切っても切り離せないものだからでしょう。

基本的に性行為というのは男が主導して行われることが多い。もちろん同意はしているが、女性にとって性行為は「妊娠」という恐怖と隣り合わせだ。真の意味でSEXを楽しむには、閉経するか子宮を取るしかないのでは?と私は思っている。
私が考えたのは、「ベラはあの脳移植の際に、子宮ごと胎児を摘出されているのではないか」ということ。子宮があったら生理もあるし、明らかに避妊していないセックスを続けたら妊娠もする。でもベラはどちらもない。
これは監督があえて描いていない、という風にも考えられるけど、私は「子宮がないから」じゃないかなーと思っている。

「子宮」は最もメス的な臓器であり、私にとっては諸悪の根源とも言える忌むべき存在である。こんなものが体内にあるせいで毎月お腹が痛くなって気分も悪くなって機嫌も悪くなる。世間からは子供を産むように促される。屈辱的な体勢で診察されなければならない。
さらに、「子宮」のせいで自由に性行為を楽しめないのもまた事実だと思う。私もいろんな男と遊んで寝てみたいのに、「相手が避妊してくれなかったら?」と思うと怖くて気軽にはとてもできない。ピルだって万能じゃないし、ピルで具合も悪くなるし。さらに言えば日本ではアフターピルもすぐには手に入らない。「ヤバ!」と思っても、翌朝産婦人科が開くまで待たなきゃいけない。手に入る快楽に対して冒す危険が大きすぎて、全然割に合わない!
つまり私は子宮のせいで冒険ができないのだ。
だから私は、この映画は「女性の身体の開放」を描いているけど、でも真の開放は「子宮摘出」が必要という、めちゃくちゃ皮肉な結論なのではないか?と思ってしまった。それは私が子宮を憎んでいるから感じただけなのだろうか。
私達は「子宮摘出」することで、妊娠から解き放たれ、真の意味で自由になり、自分の身体を取り戻せるのかもしれない。ああ、なんともはや!
男性は睾丸があっても自由だというのに。

ダラダラと2500字も書いてしまったが、私はこの映画を見て「私の身体は私のものだ!」とエンパワメントされると同時に「子宮をなくさない限り、真の自由は手に入らない」という一種の絶望感がもたらされた。

もちろん娯楽映画としても、パステルカラーにあふれて素敵なデザインの建築やファッションを眺めるのは最高だし、ベラ役のエマ・ストーンはめちゃくちゃキレイで可愛い。でもそれを楽しむだけに2時間半も映画館に箱詰めにされるのは勿体ない気もする。
この映画を見てどう感じるかは自由だし、それこそ私の感想は私のもの。私は大好きな映画になりました。オールタイムベスト級。
2時間半もあるので、ぜひ逃げ出せない・飛ばせない映画館で観てください。2,000円の価値はあるよ!
でもなんだかんだ一番好きなシーン、ゴッドが脳みそをスライスしているシーンなので、やっぱりB級ゴア映画が好きなんだよな私は……。
リアルなNY生活と食事事情がわかる「NY御馳走帖」
気づけば2024年も1ヶ月経とうとしている。早いですね。
悩みしかないですが、頑張って生きています。死ぬ元気がないとも言うが……。
寒くて元気ないと、うまくエンタメを消化できなくなる。
特にお笑いは難しくて、スコーンと逆ツボに入ると負のループから抜け出せなくなる。
なので普段の通勤時間は前日のお笑いラジオを聞いているのだが、最近はもっぱらカネコアヤノとラブリーサマーちゃんの曲を聞き続ける(この2人は私にとって絶妙に感傷的な気分になるので、鬱期にはぴったり)か、上出さんのPodcast番組を聞いている。
上出さんのPodcast番組は「NY御馳走帖」というもので、彼がNYを中心に色々なところで食事をする様が録音されている。
過度な演出や、誰かを蔑んだりすることも笑わせるようなこともなく、淡々とした語り口で、それが今の精神状態にはピッタリ。
また、私が海外旅行で最も楽しいのが「現地のレストランで食事する」ことなので、それを擬似的に体験できるところも良い。ただNYへ行きたくなりますが……。
個人的に、上出さんがチャイナタウンの中華料理屋によく行くのが、リアルなNYの生活臭がして好き。安くて美味しいよね……。
ラーメンの代わりにフォー食べるのもちょっとわかる。向こうのラーメンは大して美味しくない割に高くつくから、ああいう麺類を食べたいならフォーが一番近い、という。中華料理屋にはラーメン基本ないしね。
上出さんのことは、多くの人と同じように「ハイパーハードボイルドグルメリポート」で知った。
最初はセンセーショナルな「香港マフィアの食事風景」とやらが観たかったのだが、実際再生してみると、一番心に残ったのはゴミ処理場に住む若者たちや元少年兵の子どもたちだった。
生まれた場所やタイミングという、とてつもない運要素が人生にはあるのだな、と可視化された気分だった。私が今日本で何不自由なく生きているのは、私の努力というよりも、運。めちゃくちゃラッキーだっただけ。
でもこういう考え方(日本人の私は幸福で、彼らは不幸という二元論)をすることも傲慢なんだよね。彼らは彼らで毎日ちゃんと生きてて、よっぽど私より濃密で楽しい生活なのかも。
閑話休題。「ハイパーハードボイルドグルメリポート」における上出さんの編集は、めちゃくちゃ引き算だと思う。被撮影者の感情を勝手にテロップにすることもないし、その生活を憐れむ視点もない。淡々とご飯の様子を映す。
印象的だったのは、お金もないアフリカの若者が普通にご飯を残すところ。「ご飯を残してはいけない」っていうのは、ある種マナーというか、生産者がいて調理者がいて、彼らの仕事を無為にしてはいけないから、幼い頃から刷り込まれた考え方なのかもしれない。これは教育と呼ばれるもので、根底での「教育の大切さ」を感じた瞬間だったかも。
難しい数学の問いが解けるとか、経済構造を熟知してるとか、そういうことじゃなくて、もっと基礎的な「文化的な」生き方を教えるのが学校なんだろうな。私は自分の中学・高校の教員のことが大嫌いで、「お前らが人を育てられるわけねえだろ」と未だに思っている。私はあの頃知りたかった、世界のいろんなことを自力で会得しています。
さて、「NY御馳走帖」に戻ると、これは上出さんが近況を話しながらご飯を食べるだけなので、心動かされることがない。あ、嘘、お腹はめちゃくちゃ空く。
個人的に好きだったのは最新回の寿司屋。食材の使い方が日本とぜんぜん違うのが、海外の寿司って感じがする。バカみたいなのじゃなくて、妙に味の濃いソースとかが、リアルな海外の寿司だよね……。店員の女性の感じも良くて、NY行ったら行ってみたいな~。
関係ないですが、上出さんが英語の魚の名前をよくご存知でスゴ……となった。私は固有名詞を日本語でも英語でも覚えられなくて泣いたので。
こういうPodcast番組がいくつかあると良いな、と思うと同時に、本番組が長く続いて欲しいので、私には珍しく色んなところでオススメしている。
良い番組です。ぜひ。
罪と罰、そして「裁かれる」という救いの話(ちいかわ)
最近は、周りの結婚報告とか、終わらない結婚式投稿に耐えられなくて、身近な人達と繋がっているSNSは見るのをやめてしまっている。
はー異性愛前提の法的契約なだけなのに、なぜこんなに「愛」があるように見えるのかね。そして無条件に祝わなければならない雰囲気が耐え難い。
なーにが入籍だ、鬼籍に入ってろ。婚姻制度をぶっつぶせ。
と、SNSから離れようとしているのですが、ついつい見てしまうX(Twitter)にて、今最もHOTなのは「ちいかわ」ですよね!
可愛らしい絵柄に似つかわない重たいストーリーですでに有名ですが、現在投稿されているリゾートバイト編の重たさたるや……。
私自身はちいかわというキャラクターのことは別に好きではなく、むしろ嫌いな部類なので、グッズはおろか投稿もちゃんと追っているわけではない。
それでもフォローしているホラー有識者たちがこぞってRTしてくるのでぼんやり読んでいたのだけれど、リゾバ編はすごい……!すごい、罪と罰の話だった。
めちゃくちゃネタバレしながら感想を書いていくので、読んでない方は読んできてください。
— ちいかわ💫アニメ火金 (@ngnchiikawa) March 15, 2023
「犯した罪と与えられた/与えられなかった罰」というのは昔からドラマになりやすい題材であり、数多の物語が生み出されてきている。それこそドストエフスキーの「罪と罰」もその一つでしょう。
今回のリゾバ編もこの「罪と罰」がテーマであり、「裁かれなかった罪がもたらす罰」の物語だということが11月くらいからの更新分で明らかになってきた。
前半というか、中盤までほぼ青春バトルモノって感じで全然好みではないのだけれど、「永遠の命を手に入れたのが誰か」がわかりだしたあたりから空気が変わってくる。しかもそれを知るのが「ちいかわ」という物語の妙よ……!ともすれば全滅ということにもなりうるこの最悪の状態でも、優柔不断で気の弱い生き物が他者を糾弾することなどできないわけで。
それでも結果として、ちいかわサイドは(恒久的にかは不明だが)敵を退ける。そして大団円……。と思いきや、人魚殺害犯たちの回想に入る。彼がなぜ「永遠の命」を欲したのか、がセリフなく語られていく。
この回想がまた「憎しみの連鎖」や「復讐の連続性」をありありと表しているよね。
— ちいかわ💫アニメ火金 (@ngnchiikawa) November 2, 2023
そもそもの事の始まりは、あの島民が愚かな好奇心でセイレーンたちに近づいたことで、事故に巻き込まれたという、ある種自業自得とも言える「事故」であった。
しかし彼らは自らの愚かさを拡張するかのように、「人魚」を殺害して食べ、「永遠の命」を手に入れてしまう。仲間を殺されたセイレーンは、その復讐として犯人探しの虐殺を始める。それを傍観し続ける犯人たち。そして第三者の介入によって、一方的に罰せられるセイレーン……。
物語ではセイレーンが悪として描かれるわけだけれど、果たしてそうなのだろうか?もちろん、殺した数でいえばセイレーンのほうが多いだろう。でも「人魚殺害」がなければ起こらなかったのでは……。
そして読み返しながら感じたのが、この犯人たちの「見通しの甘さ」と「中途半端な罪悪感」。永遠の命を手に入れるということがどういうことか、少しでも考えなかったのか?とか罪のない島民が襲われることは傍観していた割に、ちいかわたちの討伐には手助けするところとか。
「見通しが甘い」ことで自分たちは永遠の命を手に入れ、島民は殺された。「中途半端な罪悪感」は結局自白までには至らない。なんともはや!
ここで「罪と罰」の話に戻すと、このリゾバ編での罪とはなんなのだろうか?
人魚を殺したこと?島民を見殺しにしたこと?(現時点では)最後まで罪を告白しなかったこと?
また、罰とはなにか。もちろん、セイレーンに罪を告白し、「なんかずっと暗いところ」に閉じ込められるのも罰でしょう。しかしこれはある種、肉体的な罰であり、精神的には、秘密の暴露ができてスッキリするのでは。さらに、他者から与えられる罰は、甘んじてそれを受け入れることで、許されている気分になれるしね。
だからこそ、このまま二人で罪を抱え続けて生きるというのも、精神的な罰といえるのかもしれない。たぶん、どんなに楽しいことをしていても、自分たちの犯した罪がふと頭を過り、後ろめたい気持ちになるだろう。死ねば終わるが、残念ながら彼らは永遠の命。永遠に「なんかずっと暗い」気持ちで生き続けるのもまた一つの罰。
さらにいえば、精神的な罰には期限がないし、許しもない。ずっと、永久に、自責の念を抱えて生きる。
なんでSNSで、こんな可愛い絵柄で、なんか朝にアニメとかもやってるのに、こんな薄暗い重たい邦画みたいなストーリーを……子供とか読んで大丈夫なのかな、泣いちゃわない?
第三者でしかないちいかわが犯人を知ってしまったのも可哀想すぎる!ちいかわもまた小さな罪悪感(助けてもらったセイレーンに真実を隠し続ける)を抱えて生きることになってしまったのよ。酷い話だ……。
— ちいかわ💫アニメ火金 (@ngnchiikawa) November 17, 2023
「目には目を」で有名なハンムラビ法典ですが、元々は報復を推奨する意図ではなく、「やられた分だけやり返して、それで終わり!」という連鎖を断ち切る意図で書かれた、という話を昔聞いた。(真偽不明)
今回のリゾバ編も、ハンムラビ法典に則っていればこんな大事にはならなかったと思うし、あの二匹が罪を抱え続けることもなかったのだろうな。悲しいね。
しかし実世界でも、ちいかわリゾバ編と同じように復讐は日々繰り返され連鎖し続けており、やられたらやり返す、というのはきっと正しいことではないのだろう。でもどうしたら折り合いがつけられるのだろうね。うーん……。
