I told you a lie

他愛もない日記や感想文

私の身体は私のもの!甘美で危険な冒険譚「哀れなるものたち」

ポスタービジュアルがとってもキュートな「哀れなるものたち」の中身は全然キュートではない、という話をします。

ネタバレと私による超解釈がありますが、ご容赦ください……。

 

www.searchlightpictures.jp

「哀れなるものたち」は原題が「Poor Things」で、結構ストレートに訳されていると思う。楽しみにしていた映画なので、いい映画なのに邦題がクソ!(もちろん逆もあるが)ということがなくて良かった。

個人的にはPoorって貧しいとか愚かとかじゃない?という気もしていたけれど、映画でのベラの話しぶりを観ていると、タイトルの「Poor Things」に対する感情は憐憫に近いなと。そうすると「哀れなるものたち」がちょうどいい落とし所だよね。

『哀れなるものたち』ベラが住む世界を桁違いのスケールで“ゼロ”から構築!世界最高峰の映画美術に迫る特別映像解禁!

 

さすがと言うか、公式のOverviewは「天才外科医によって蘇った若き女性ベラ」とあり、最も重要な「自殺した妊婦のお腹にいた胎児の脳をそのまま母親である妊婦に移植する」というマッドサイエンスな部分がごっそり抜けている。

この「子供の脳を母親に移植」というのは、この映画における「女性の開放」「社会によって植え込まれた思い込み」「親殺しによる庇護者からの脱却」などのテーマを描く上でとても重要な意味を持っているため、あらすじでサラッと触れてしまうとその部分が鑑賞者の印象に残りづらくなる。あくまで、これはジェーン・ドウではなく、胎児「ベラ」の人生だと強く認識する必要がある。と、私は思います……。

なので、(まあ仕方ないんだけど)この辺の内容をサクッと書いてある映画情報サイトを見ると怒り狂いそうになる。パッと見、完全にスプラッタじゃん!全然スプラッタ映画じゃないのに!!

ということで、リンクを貼るときに少し感動したよ、という話でした。

 

閑話休題

私がこの映画を観て強く感じたのは「女性の肉体の開放および返還」について。

私は残念ながら肉体的には女性として生まれてしまったので(あえてこういう書き方をしています)、自分の身体は自分だけのものではないという感覚を持っている。

小学生くらいから「男性に値踏みされるもの」として自分の身体を認識し始め、思春期になれば「より高価値な身体にならねば」と躍起になる。そこから先は「男に選ばれる女になるために」身体が使われる。まるで私の意思でやっているかのようだが、その実、男性社会で「価値ある女」になるための努力なわけで、私の自由意志は本当には存在しない。そしてそれは閉経するまで、否、死ぬまで続く!

これは私だけの感覚ではなくて、ある程度の女性はみな感じているのでは?もちろんそれを愉快だとか、喜ばしいとか思う人もいるのだろうけど、多くはないだろう。女性にも意思があり、生きているので。

 

本作は主人公のベラが旅をしながら、自分の身体を自分のために使う。それは遊んだり、快楽を得るためだったり、お金を得るためだったり……。でもいつでもベラは自分の意思を最優先とし、無理やり自分の身体を他者に受け渡すことはしない。

ベラはいつもちゃんと拒絶する。女性に拒絶されたことのない「上流男性」はそれに怯え、怒り、懇願する。「物分りの良い、かわいい子に戻ってくれ」と。だからベラが本を読み難しいことを言うと、嘆き、本を取り上げる。結局、超キレイな白痴美人が好きなんだよ、お前は!!

物語終盤に出てくる将軍は明らかに露悪的に描かれたエゴイスティックなファッキンエネミーだが、実はゴッドもマックスも(もちろんダンカンも)同じ。ただ違うのは、ゴッドとマックスは最終的に「ベラの自由意志を尊重する」ことができた点。それはベラを一人の人間として認めた、ということと同義で、フェミニズム的文脈からも素晴らしい成長と言えよう。”進歩”したのね。

 

この映画が18禁なのは、脳みそ移植シーンのゴア描写がすごいからじゃない。(極端な話、変な邦画のほうがよっぽどゴアがエグくてPG12とかだし)ゴアシーンはほとんどなく、時折あるのもモノクロなので、よっぽど駄目な人以外は見れる……はず。

この映画は性行為のシーンがめちゃくちゃ多くて18禁になっているのだ。だからといってピンク映画的ではなく、エッロ!みたいなことはない。あくまで「行為を楽しむベラ」が描かれている。では何故、そんなにセックスを描くのか?それは「女の身体とセックス」が切っても切り離せないものだからでしょう。

基本的に性行為というのは男が主導して行われることが多い。もちろん同意はしているが、女性にとって性行為は「妊娠」という恐怖と隣り合わせだ。真の意味でSEXを楽しむには、閉経するか子宮を取るしかないのでは?と私は思っている。

私が考えたのは、「ベラはあの脳移植の際に、子宮ごと胎児を摘出されているのではないか」ということ。子宮があったら生理もあるし、明らかに避妊していないセックスを続けたら妊娠もする。でもベラはどちらもない。

これは監督があえて描いていない、という風にも考えられるけど、私は「子宮がないから」じゃないかなーと思っている。

「子宮」は最もメス的な臓器であり、私にとっては諸悪の根源とも言える忌むべき存在である。こんなものが体内にあるせいで毎月お腹が痛くなって気分も悪くなって機嫌も悪くなる。世間からは子供を産むように促される。屈辱的な体勢で診察されなければならない。

さらに、「子宮」のせいで自由に性行為を楽しめないのもまた事実だと思う。私もいろんな男と遊んで寝てみたいのに、「相手が避妊してくれなかったら?」と思うと怖くて気軽にはとてもできない。ピルだって万能じゃないし、ピルで具合も悪くなるし。さらに言えば日本ではアフターピルもすぐには手に入らない。「ヤバ!」と思っても、翌朝産婦人科が開くまで待たなきゃいけない。手に入る快楽に対して冒す危険が大きすぎて、全然割に合わない!

つまり私は子宮のせいで冒険ができないのだ。

 

だから私は、この映画は「女性の身体の開放」を描いているけど、でも真の開放は「子宮摘出」が必要という、めちゃくちゃ皮肉な結論なのではないか?と思ってしまった。それは私が子宮を憎んでいるから感じただけなのだろうか。

私達は「子宮摘出」することで、妊娠から解き放たれ、真の意味で自由になり、自分の身体を取り戻せるのかもしれない。ああ、なんともはや!

男性は睾丸があっても自由だというのに。

 

ダラダラと2500字も書いてしまったが、私はこの映画を見て「私の身体は私のものだ!」とエンパワメントされると同時に「子宮をなくさない限り、真の自由は手に入らない」という一種の絶望感がもたらされた。

もちろん娯楽映画としても、パステルカラーにあふれて素敵なデザインの建築やファッションを眺めるのは最高だし、ベラ役のエマ・ストーンはめちゃくちゃキレイで可愛い。でもそれを楽しむだけに2時間半も映画館に箱詰めにされるのは勿体ない気もする。

この映画を見てどう感じるかは自由だし、それこそ私の感想は私のもの。私は大好きな映画になりました。オールタイムベスト級。

2時間半もあるので、ぜひ逃げ出せない・飛ばせない映画館で観てください。2,000円の価値はあるよ!

 

 

でもなんだかんだ一番好きなシーン、ゴッドが脳みそをスライスしているシーンなので、やっぱりB級ゴア映画が好きなんだよな私は……。